こんばんは!情熱男です。
サクラは散りましたが、今週末は暖かくってピクニック日和でしたね。
今日はこんな糸井さんの詩を。
年下のともだちにメールの返事を書いていて、
最後に、ほとんど無意識に「ねばれ!」と書きました。
「ねばれ!」しかないんですよね、たいていのことは。天からの掲示も、ありがたい偶然も、
ねばっている人のところにやってくるわけで、おそらくそれは「考えつづけている」というのと、
同じことなんじゃないかなぁ。
打席に立ち続けていて、退かない。
答えが出るまで、終わりにしないという態度が、「ねばる」じゃないかと思うんです。
ずいぶんと芋臭い、「ひらめき」というものも、打席に立っているからこそ、のものなんです。
運を頼むのはオッケーなんですが、頼みつづけていないと運に当たらない。
頼みつづけることを「ねばる」わけ。おれも、ねばるよ。おまえも、ねばれ。
(糸井重里 ボールのようなことば。)
なんてストレートで、素敵な言葉だなって思うんです。
結局は打席に立ち続ける人に運は舞い込んでくる。本当にそう思います。
打席に立ち続けて、「ねばる」ということは、考え続けなければいけないことなんですね。
それだけで大変なことだと思います。それゆえ、当たり前と思う打席に立つことさえ逃げる人がいっぱい。
これから私も「ねばれ!」と自分にも後輩にも言い続けたいと思います。
糸井さんが「ひらめき」も打席に立ってなければ閃かないといっているわけで、そういうことなんですよね。
カッコつけているだけじゃ、なにも起こらないんです。
プロ野球も、仕事も一緒ですね。打席に立ち続けることが一歩であり、全てなのかもしれません。
打席に立つためには努力が必要だし、立ち続けるにも努力を続け、考え続けなければならない。
明日もねばろう、、、、情熱!!!!!