こんばんは!情熱男です。
子どもたちがプールに一生懸命で、5歳の息子もバタフライへ突入・・・。
子どもの可能性は無限大ですね。
できちゃうってことの大人の矛盾みたいなものを今日は取り上げます。
なにかが「できちゃう」ということは、かならずしもいいこととはかぎりません。
たとえば、お化粧がじょうずに「できちゃう」人は、いつ素顔を見せればいいのでしょう。
このつぎには、素顔を見せようと思っているうちに時は過ぎ、年老いていく素顔は、誰にも見られないままになります。
文章を書くことが、「できちゃう」なんてことも同じで、なんにも思ったり感じたりしなくても、
それらしい文章はかけるものです。どういうふうに体裁を整えるか、であるとか、どう書けば評価されるかだとか、
どうすれば隠し事が隠しおおせるかなんてことが、どんどんじょうずになっていくと、いつまでも、
書けない理由に出合えなくなります。
「できちゃう」ことは、とても役には立つのでしょうが、そのおかげで、なにかの発達が止まってしまう場合もあります。
「できちゃう」ことを捨てたり、「できちゃう」ことの外側に出たりすることは、どんな秘境への旅よりも、大冒険です。
「できない」と格闘し続けるためにも、「できちゃう」を封印することが大事です。
「できちゃう」がないと生きていくのが困難だし、「できない」に出合えないと、生き続けられない。
にゃかにゃか、ややこしくもおもしろいものです。
(糸井重里 ー ボールのようなことば。)
とっても面白い一節だなって思います。
いわゆる、「できることに、あぐらをかく」という部類でしょう。
「できちゃう」を捨て、「できない」の大冒険にでようと。
本当にそう思います。やっぱり環境の変化が頭や心に与える影響も大きいので、
「できない」環境に自分を置き、生きづらいけど成長の糧になる道を選んでいきたいですね。
私は、その大冒険の方を選べる重要な素養は、「好奇心」にあると思っています。
好奇心で視点を広げ、あとは、飛び込む。
ドラスティックに環境を変えなくても、今いる場所で視点を変えるだけでも
十分大冒険できるポイントもあると思いますよ。探してみましょう!
気持ちの大冒険に、、、、情熱!!!
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